サステナビリティ研究

スマートタグが実現する「衣類のパスポート」:循環型経済の切り札となるか

近年、ファッション業界は大きな転換点を迎えています。
華やかな世界の裏側で深刻化する、大量生産・大量消費・大量廃棄という構造的課題です。

経済産業省の調査によると、国内で年間に手放される衣類のうち、約65%が焼却・埋め立て処分されているというデータがあります。
これは、資源の枯渇、製造・廃棄過程におけるCO2排出、マイクロプラスチックによる環境汚染など、地球環境に多大な負荷をかけていることを示唆しています。

このような状況を背景に、世界的に「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」への移行が急務とされており、ファッション業界も例外ではありません。
本稿では、その移行を加速させる鍵として注目されるテクノロジー、「スマートタグ」が実現する「衣類のパスポート」に焦点を当て、その可能性と課題について専門的な視点から深く考察します。

「衣類のパスポート」とは何か?

「衣類のパスポート」とは、一つひとつの衣類に固有のデジタルIDを付与し、その製品のライフサイクル全体(原料調達、製造、流通、販売、利用、回収、リサイクル)にわたる情報を記録・追跡可能にする仕組みのことです。
この概念は、特に「デジタルプロダクトパスポート(DPP)」という名称で知られています。

デジタルプロダクトパスポート(DPP)の基本概念

DPPは、製品の「デジタル上の履歴書」とも言えるものです。
消費者はスマートフォンなどを通じて、製品に付けられたタグをスキャンするだけで、以下のような多様な情報にアクセスできるようになります。

DPPに含まれる情報の例

  • 基本情報: 製品名、ブランド、製造年月日
  • 素材情報: 原材料の種類、原産地、リサイクル素材の含有率
  • 製造情報: 製造工場、製造工程における環境負荷(水・エネルギー消費量、CO2排出量など)
  • 流通過程: サプライチェーンの追跡記録
  • メンテナンス情報: 洗濯方法、修理の可否や方法
  • 循環情報: リサイクルやリユースの方法、回収プログラムの案内

この仕組みにより、製品の透明性が劇的に向上し、グリーンウォッシュ(環境配慮を装う見せかけの訴求)を防ぐ効果も期待されています。

スマートタグ(RFID/NFC)が果たす役割

DPPを実現するための核心技術が「スマートタグ」です。
主にRFID(Radio Frequency Identification)やNFC(Near Field Communication)といった無線通信技術を用いたICタグが活用されます。

技術特徴主な用途
RFID複数のタグを一度に、離れた場所からでも読み取れる。在庫管理、検品、サプライチェーン追跡
NFCスマートフォンなどをかざすことで個別に情報を読み取る。消費者向けの情報提供、真贋判定、決済

これらのスマートタグを衣類に埋め込む、あるいはタグとして取り付けることで、各製品が固有のIDを持つ「個品」として管理できるようになります。
これにより、これまで困難だった製品ライフサイクル全体のデータ収集と追跡が可能になるのです。

なぜ今、「衣類のパスポート」が求められるのか?

DPPが注目される背景には、大きく分けて3つの要因があります。

  1. 環境規制の強化: 特に欧州連合(EU)が主導する法規制が、導入を強力に後押ししています。
  2. 消費者意識の変化: Z世代やミレニアル世代を中心に、製品の背景にあるストーリーや企業の倫理観、環境への配慮を重視する傾向が強まっています。
  3. 企業のESG経営: 投資家や金融機関が、企業の環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)への取り組みを評価する動きが加速しており、サプライチェーンの透明化は企業価値を左右する重要な要素となっています。

これらの要因が複合的に絡み合い、「衣類のパスポート」は単なる技術的な試みではなく、持続可能な社会を実現するための必須インフラとして認識されつつあるのです。

衣類のパスポート(DPP)が実現する循環図解

EUが先行する法規制と国際的な動向

「衣類のパスポート」導入の動きを最も強力に牽引しているのが、EUの法規制です。
その中核となるのが「持続可能な製品のためのエコデザイン規則(ESPR)」です。

参考: EUのエコデザイン規則、7月18日から施行(EU) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース – ジェトロ

持続可能な製品のためのエコデザイン規則(ESPR)

ESPRは、EU市場で販売される製品に対して、環境配慮設計を義務付ける規則です。
従来のエネルギー効率中心の規制から、対象を繊維製品、家具、電子機器などほぼ全ての製品に拡大し、より広範なサステナビリティ要件を課すものです。

この規則の柱の一つが、DPPの導入義務化です。
EUは、製品の耐久性、修理可能性、リサイクル可能性といった情報をDPPを通じて消費者に提供することで、より持続可能な消費行動を促し、循環型経済への移行を加速させることを目指しています。

2027年から段階的に義務化へ:企業の対応は待ったなし

EUの計画では、DPPの導入は2027年頃からバッテリーや繊維製品などを皮切りに段階的に義務化される見込みです。
これは、EU域内で製品を販売するすべての企業が対象となるため、日本のファッション企業にとっても決して他人事ではありません。

欧州委員会は、「2030年までにEU域内で販売される繊維製品は、耐久性があり、リサイクル可能で、リサイクル繊維を大幅に使用したものにする」という明確なビジョンを掲げています。

この目標達成の手段としてDPPは不可欠であり、対応が遅れればEU市場からの締め出しにも繋がりかねない、極めて重要な経営課題と言えるでしょう。

世界へ広がる影響と日本企業への示唆

EUの規制は、事実上の国際標準(デファクトスタンダード)となる可能性が高いと考えられます。
グローバルなサプライチェーンを持つ現代において、EU向けの製品だけを特別扱いすることは非効率であり、多くのグローバル企業がEU基準に合わせた対応を進めることが予想されるからです。

日本国内でも、大手商社などがDPPに対応したトレーサビリティ管理プラットフォームの実証実験を開始するなど、対応に向けた動きが始まっています。
日本企業は、この国際的な潮流を単なる「規制対応」と捉えるのではなく、自社のサステナビリティ戦略を強化し、新たな競争力を獲得する好機と捉えるべきでしょう。

衣類のパスポートがもたらす変革:循環型経済へのロードマップ

「衣類のパスポート」は、製品ライフサイクルの各段階において、革命的な変化をもたらすポテンシャルを秘めています。

【生産】トレーサビリティ向上とサプライチェーンの透明化

DPPの導入により、これまでブラックボックス化しがちだったサプライチェーンの可視化が飛躍的に進みます。

  • 原料の追跡: オーガニックコットンやリサイクル素材が、本当に認証された供給源からのものかを証明できます。
  • 労働環境の把握: どの工場で、どのような労働環境のもと製品が作られたかを追跡し、人権侵害のリスクを低減します。
  • 環境負荷の算出: 各工程でのCO2排出量や水使用量を正確に把握し、ライフサイクルアセスメント(LCA)の精度を高めます。

これにより、企業は自社のサプライチェーンにおける課題を正確に特定し、改善に向けた具体的なアクションを取りやすくなります。

【販売・利用】新たな顧客体験とブランド価値の向上

消費者にとって、DPPは単なる情報源以上の価値を提供します。

  • 信頼性の担保: 製品の背景にあるストーリーやサステナビリティへの取り組みを知ることで、安心して商品を選べます。
  • パーソナライズされた情報: スマートフォンをかざすだけで、最適な手入れ方法やコーディネート提案、修理サービスの案内などを得られます。
  • 真贋判定: 高級ブランド品などにおいて、製品が本物であることを証明し、偽造品市場からブランドを守ります。

これらの体験は、消費者とブランドとの間に新たなエンゲージメントを生み出し、価格競争から脱却したブランド価値の向上に繋がると考えられます。

【回収・再生】リユース・リサイクルの精度向上と効率化

循環型経済の実現において最も重要なのが、使用後の製品をいかに効率的に資源として循環させるかです。
DPPは、このプロセスを劇的に改善します。

従来のリサイクル現場では、衣類の素材を正確に特定することが困難なため、効率的な分別ができず、多くが質の低いリサイクル(ダウンサイクル)や廃棄に回らざるを得ないという課題がありました。

スマートタグによって正確な素材情報が瞬時にわかるようになれば、以下のようなメリットが生まれます。

  • 自動分別の実現: 回収された衣類を素材ごとに高速で自動分別し、リサイクル処理の効率を大幅に向上させます。
  • 高品質なリサイクル: 正確な素材情報に基づき、ケミカルリサイクルなど高度な技術を適用しやすくなり、「服から服へ」という水平リサイクル(クローズドループ・リサイクル)の実現に近づきます。
  • リユース市場の活性化: 製品の来歴や真贋が保証されることで、中古市場での取引が活発化し、製品寿命の延長に貢献します。

データが拓く新たなビジネスモデルの可能性

DPPを通じて蓄積される膨大なライフサイクルデータは、新たなビジネスモデル創出の源泉となります。
例えば、製品の利用頻度や摩耗度をデータで把握し、最適なタイミングで修理や交換を提案するサブスクリプションサービスや、回収した製品を再生して再販する認定中古品ビジネスなどが考えられます。
これにより、企業は「売り切り型」のビジネスモデルから脱却し、製品ライフサイクル全体で顧客と関わり、収益を生み出す「循環型ビジネス」へと転換することが可能になるのです。

導入に向けた課題と展望

「衣類のパスポート」は大きな可能性を秘めていますが、その普及には乗り越えるべき課題も少なくありません。

技術的・コスト的課題:誰がコストを負担するのか

スマートタグの導入には、タグ自体のコストに加え、情報を読み取るためのリーダーやデータ管理システムの導入など、初期投資が必要です。
特に、一点あたりの単価が低いファストファッション製品にまで導入するには、タグの低価格化が不可欠です。

また、サプライチェーン全体でデータを収集・入力する仕組みを構築する必要があり、そのコストを最終的に誰が負担するのか(ブランド、製造業者、あるいは消費者)という問題は、業界全体での議論が必要です。

標準化とデータ連携の壁

DPPが真に機能するためには、業界横断でのデータフォーマットや通信規格の標準化が不可欠です。
各社がバラバラのシステムを導入してしまうと、サプライチェーンの途中でデータが途切れたり、リサイクル業者が情報を読み取れなかったりといった問題が生じます。

ブランド、製造業者、小売業者、リサイクル業者といった多様なステークホルダーが連携し、相互運用可能なプラットフォームを構築していくことが、成功の鍵を握ります。

消費者への浸透とプライバシー保護

消費者にとって、タグをスキャンする行為が日常的な習慣となるまでには、その利便性や価値を丁寧に伝えていく必要があります。
また、製品の利用履歴などが個人情報と結びつく可能性も考慮し、データの取り扱いに関する透明性の確保とプライバシー保護の徹底が極めて重要になります。
消費者の信頼を得られなければ、このシステムは普及しないでしょう。

まとめ:衣類のパスポートは、ファッションの未来をどう描くか

スマートタグが実現する「衣類のパスポート」は、単なるトレーサビリティ技術にとどまらず、ファッション業界のビジネスモデルそのものを根底から変革する可能性を秘めています。
それは、これまで「生産→消費→廃棄」という直線的な流れ(リニアエコノミー)であった産業構造を、「資源が循環し続ける円環」(サーキュラーエコノミー)へと転換させるための、強力な触媒となり得るものです。

EUの法規制をきっかけに、その導入はもはや避けられない潮流となっています。
導入にはコストや標準化といった課題が伴いますが、サプライチェーンの透明化、新たな顧客価値の創出、そして資源循環の実現といったメリットは、それらを乗り越えるに値するでしょう。

「衣類のパスポート」が示す一着一着の物語を、企業と消費者が共有し、価値を認め合う。
その先にこそ、ファッションが本来持つ創造性を損なうことなく、地球環境と共存できる持続可能な未来が描かれるのではないでしょうか。
この変革は、私たちファッション業界に関わるすべての者にとっての挑戦であり、同時に大きな好機であると考えられます。