私たちが毎朝袖を通すTシャツ、シャツ、ジーンズ。
そのタグの「Made in Bangladesh」「Made in India」という文字の向こう側で、いま何が起きているでしょうか。
サステナブル・ファッション・ラボ代表として10年以上、欧州とアジアの繊維産業を現場で見続けてきた立場から申し上げると、2024年から2026年にかけての両国は、過去10年で最も大きな転換点にあります。
ハシナ政権の崩壊、化学倉庫火災による若年労働者の死亡、最低賃金引き上げ後も続く抗議行動、そしてEUの新しい人権規制の発効。
これらは一見ばらばらに見えますが、すべてが「ファッション供給網の人権リスク」という一本の太い軸でつながっています。
本稿では、最新データと一次資料に基づき、インド・バングラデシュ繊維労働者問題の構造を整理し、日本のアパレル企業と消費者が直面する課題を客観的に分析します。
読み終えていただく頃には、サステナブルファッションがなぜ「品質」と並ぶ調達基準として語られるべきなのか、その根拠が明確になっているはずです。
目次
インド・バングラデシュ繊維産業の現在地と世界的影響力
繊維・縫製産業は、両国の経済と雇用を支える基幹産業です。
グローバルな視点で両国の位置づけを理解することが、人権リスクの構造把握の出発点となります。
両国がファッション供給網で占める圧倒的なシェア
バングラデシュは世界第2位の既製服輸出国であり、中国に次ぐ規模を保ってきました。
インドはコットン生産・紡績で世界トップ級のシェアを誇り、欧米ファストファッション・ブランドの裏側を支えています。
両国を合わせると、世界の主要ブランドが調達する縫製品の相当部分がここから出荷されている計算になります。
地理的に近く、賃金水準が中国より低いことから、サプライチェーンが集中する構造ができあがりました。
ZARA、H&M、Uniqlo、GAPなど、誰もが知るブランドの裏側に、両国の数百万人の労働者が存在します。
雇用構造と経済的依存度
バングラデシュの縫製業は約400万人を雇用し、その大半が女性です。
輸出全体の約80%を縫製品が占め、GDP寄与率も10%を超える、文字通りの経済基盤と呼べる産業です。
インドのタミル・ナードゥ州だけでも約2,200の紡績工場があり、推計25万人の若年女性が働いています。
この圧倒的な雇用規模ゆえに、賃金や労働環境の小さな変化が数百万人の生活に直結します。
逆に言えば、ブランド側の調達判断ひとつが、現地の労働環境を左右する力を持っているということです。
主要輸出先と消費国側の責任
欧米とアジアの大手ブランドが、両国からの調達を続けています。
日本にとっても、衣料品輸入額のうちバングラデシュからの調達は年々増加傾向にあります。
ファーストリテイリングは現地に「重要な生産国」として位置づけ、複数の取引先工場を持っています。
消費国側の調達責任、つまり「どこから・どのような条件で買うか」という意思決定は、産業のあり方を決定づける要因です。
近年は欧州を中心に、その責任を法制度として明文化する動きが急速に進んでいます。
2024年以降に表面化した最新の人権リスク
2024〜2025年は、両国の繊維労働者にとって、複数の危機が連続した時期でした。
最新の事件・統計を時系列で押さえると、構造的な問題が浮かび上がります。
バングラデシュ政治危機と13万人の女性労働者
2024年8月、シェイク・ハシナ首相が長期政権の末に国外退避するという、歴史的な政治変動が起きました。
この混乱の中で、約140の縫製工場が閉鎖され、推計13万人の女性労働者が職を失ったと報じられています。
チッタゴン港、つまり同国貿易の9割以上を扱う物流拠点も大混乱に陥り、48時間で完了していた船舶の荷役が96時間以上に延び、入港待ちが9日に及んだ事例も報告されています。
輸出は前年同期比でアメリカ向けが21.77%減少し、5日間で8億ドルの直接損失が発生したと推計されています。
経営層の混乱は、最も弱い立場にいる労働者にしわ寄せされる構造を明らかにしました。
アンワー・ファッション火災が示した未解決の構造問題
2025年10月14日、ダッカ・ミルプル地区のアンワー・ファッション工場で発生した化学倉庫火災は、繊維産業の安全管理がいかに脆弱かを改めて突きつけました。
死者は少なくとも16人。
そのうち多くは14歳前後の若年労働者でした。
工場には消火設備も警報装置もなく、屋上への扉は二重の南京錠で施錠されていたと報じられています。
火は27時間燃え続け、有毒ガスにより周辺工場も操業停止に追い込まれました。
13年前のラナ・プラザ事故が突きつけた「死の罠(death traps)」という表現が、いまも当てはまる現場が残っているということです。
詳しくは、国際労働機関(ILO)のバングラデシュ縫製業労働環境改善プログラム(Phase II)のページをご覧ください。
ラナ・プラザ事故後の取り組みと、約1,800工場の検査体制構築の経緯が整理されています。
ラナ・プラザから13年、進歩と限界
2013年のラナ・プラザビル崩壊事故、すなわち1,138人が亡くなった史上最悪の繊維工場事故から13年が経過しました。
この事故をきっかけに発足した「国際協定(International Accord)」は、現在パキスタンにも拡大され、2,200以上の工場・約300万人の労働者をカバーしています。
一方で、2025年12月時点で1,000以上のバングラデシュ工場が改修スケジュールに遅延しているとも報じられています。
ハシナ政権崩壊以降、新たに46工場が是正計画の確定すらできていない状況です。
ラナ・プラザ後の制度設計は明確な前進をもたらしましたが、政治的な不安定さや経済圧力の前では、構造的な脆弱性が容易に露呈します。
賃金問題の本質:「生活賃金」との大きな乖離
労働環境の安全性と並んで、賃金は人権問題の根幹を成すテーマです。
最低賃金と「生活賃金(living wage)」の差を理解することが、議論の出発点になります。
バングラデシュ最低賃金の56.25%引き上げと残る不満
2023年末、バングラデシュ政府は縫製労働者の最低賃金を月額8,000タカから12,500タカへ、つまり56.25%引き上げました。
2019年以来の改定であり、数字だけ見れば大幅な引き上げです。
しかし、労働組合側が要求していた水準は月額208ドル(約23,000タカ)でした。
労働者側が「生活賃金」と考える金額の半額強にとどまったため、抗議行動が続き、警察との衝突で2人が死亡、161人が逮捕、4万人以上に開いた逮捕状が残るという状況が報じられています。
2025年10月時点でも、ラションカード(食料配給券)を求める抗議が続いています。
インフレ率9.5%という環境下では、賃上げの実質的な購買力上昇分はほとんど打ち消されてしまいます。
生活賃金ギャップの定量データ
Clean Clothes Campaign(CCC)の調査によれば、世界中の縫製労働者のうち生活賃金を得ているのはわずか2%。
平均すると「生活に必要な額より41%少ない収入」で働いている計算です。
国別の最低賃金と生活賃金のギャップを見ると、インドネシア71%、中国68%、インド・ベトナム・カンボジアなどは50%超のギャップが報告されています。
バングラデシュも同様に深刻な乖離が続いています。
| 国 | 最低賃金と生活賃金のギャップ | 状況 |
|---|---|---|
| インドネシア | 約71% | 最大ギャップ |
| 中国 | 約68% | 大幅な乖離 |
| インド | 50%超 | 構造的低賃金 |
| バングラデシュ | 大幅なギャップ | 抗議継続中 |
このギャップは、ブランド側の調達価格圧力と密接に関係しています。
価格圧力が労働者にしわ寄せされる構造
国際人権ビジネス研究所(IHRB)のレポートが指摘するように、ブランドの「価格圧迫(price squeezing)」が、サプライヤー側の賃金抑制を構造的に強いている側面があります。
ファストファッションの過剰生産モデルでは、新商品の投入サイクルが短く、発注のキャンセルや単価の引き下げが現場の経営を圧迫します。
その結果、工場側はコスト削減を労働コストに転嫁せざるを得ず、最低賃金ぎりぎりの設定や、長時間労働、社会保険の未加入といった形でしわ寄せが起きます。
ブランド側の「Tier 1サプライヤーの賃金開示率」が低いことも、この構造を温存する一因と考えられます。
見過ごされてきた女性労働者の人権リスク
縫製労働者の大半は女性であり、ジェンダーの視点を組み込まずに人権リスクは語れません。
2025年は、この領域で複数の重要な動きがありました。
タミル・ナードゥの「変質したスマンガリ」とは
南インド・タミル・ナードゥ州の紡績工場で長年問題視されてきた「スマンガリ・スキーム」は、「結婚資金の支援」を名目に、若年女性を3〜5年の固定契約で拘束し、最低賃金の一部を契約終了時まで保留するという、実質的な債務労働です。
2024年に発表された学術論文では、このスキームが「変質した形」で残存しており、最低賃金未満の支払い、長時間労働、強制残業、休暇拒否、ボーナス未払いといった違反が継続していることが報告されています。
タミル・ナードゥの約25万人の若年女性労働者のうち、80%が「キャンプ労働」と呼ばれる旧スマンガリ型の働き方で働いている、という推計もあります。
法律上は禁止されていても、運用の実態は変わっていない。
これは制度と現場の乖離を象徴する事例です。
ジェンダーに基づく暴力とハラスメント
アムネスティ・インターナショナルが2025年11月に公表した調査では、バングラデシュ、インド、パキスタン、スリランカの縫製工場における自由結社権侵害と、女性労働者への抑圧構造が詳細に記録されています。
インド国内でも、ダリット女性(カーストの下層に位置づけられてきた女性)が特に被害を受けやすいことが指摘されています。
男性監督者によるセクシャル・ハラスメントや言葉による暴力、組合活動を理由とする解雇、契約打ち切りといった事例が、複数の調査で繰り返し報告されています。
ジェンダーに基づく暴力(GBV)は、賃金問題と切り離せない構造的リスクであり、サプライチェーン全体の評価項目として組み込む必要があります。
バングラデシュのILO第190号条約批准という転機
2025年10月、バングラデシュは南アジアで初めて、ILO第190号条約(仕事の世界における暴力とハラスメントの撤廃に関する条約)を批准しました。
同時にOSH関連の第155号、第187号も批准し、アジアで初めてILOの11の基本条約をすべて批准した国となりました。
これは長年にわたる労働組合の運動と国際的なキャンペーンの成果であり、形式的な前進ではありますが、実効性をどう担保するかが次の論点です。
監督官庁の体制整備、苦情処理メカニズム、ジェンダー配慮型の相談窓口など、運用面での投資が問われます。
国際規制とトレーサビリティの新潮流
労働環境の改善は、現地政府の意思だけでは進みません。
消費国側の規制と、ブランドの自主的開示の両輪が機能してこそ、構造変化が起きます。
2024〜2025年は、欧州を中心に大きな制度変化が進みました。
EU企業持続可能性デューディリジェンス指令(CSDDD)の射程
2024年7月25日、EU企業持続可能性デューディリジェンス指令(CSDDD、EU指令2024/1760)が発効しました。
これは、企業に対し、自社のみならずバリューチェーン上のサプライヤーに関しても人権・環境への悪影響を特定し、防止・是正することを義務付ける規制です。
詳細は欧州委員会のCorporate sustainability due diligenceを参照していただくと、規制の全体像が把握しやすいでしょう。
アパレル・履物産業は優先セクターと位置づけられ、縫製工場の労働条件、原材料調達の環境影響、再委託やロジスティクスのリスクが対象に含まれます。
適用延期と簡素化パッケージの意味
2025年2月、欧州委員会は「オムニバスI簡素化パッケージ」を発表し、CSDDDの適用開始時期を1年延期する方針を示しました。
当初2027年7月からとされた段階適用が、実質的に2029年から始まり、対象企業の規模要件も従業員5,000人超・売上15億ユーロ超に絞られる方向です。
これを「規制の後退」と見る向きもありますが、適用範囲が縮小されても、業界全体の調達基準は引き上がる方向にあります。
大手ブランドが対応を整えると、その下に連なる中小サプライヤーも実質的に同水準を求められるからです。
ファッション透明性指数2024-2025の評価動向
Fashion Revolutionが毎年公表している「ファッション透明性指数(Fashion Transparency Index)」は、世界の主要ブランド250社(2025年版は200社)を対象に、人権・環境関連の開示状況をスコア化しています。
2024年版(What Fuels Fashion?エディション)の結果では、Pumaが75%、Gucciが74%、H&Mが61%といったスコアを記録しました。
一方で、全体の傾向としては以下のような厳しい現実が示されています。
- 賃金方針を開示しているブランドは41%にとどまる
- 実際に支払われた賃金を開示しているのはわずか24%
- 原材料の調達元(農場・施設名)を開示しているのは5%以下
- 86%の企業が石炭脱却の目標を公表していない
2025年版ではH&Mが最高スコアの透明性ブランドとして評価されました。
日本ブランドのスコアは、上位ブランドと比較すると依然として開示水準に課題が残ります。
日本企業に問われるサプライチェーン責任
JETROのレポートによれば、日本企業の人権デューディリジェンス実施比率は2024年度に16.4%へ上昇し、大企業に限れば46.7%まで増加しています。
2022年9月に公表された経済産業省の責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドラインは、政府による事実上の標準として機能し始めています。
ファーストリテイリングは2023年に「繊維・縫製産業における健康と安全のための国際協定」に署名しており、バングラデシュにおける女性エンパワーメント・プログラムの目標も掲げてきました。
一方で、2024年のバングラデシュ反政府デモの際には現地取引先の全縫製工場が一時稼働停止に追い込まれるなど、政治リスクへの対応も問われています。
日本企業に求められるのは、Tier 1(直接の取引先)にとどまらず、Tier 2、Tier 3まで含めたトレーサビリティの確保です。
持続可能なファッション供給網のために:消費者と業界へ
最後に、これらの構造的課題に対し、業界と消費者がどう向き合うべきかを整理します。
リユースファッション研究の立場から、循環型経済との接続を踏まえてお話しします。
ESG投資とサーキュラーエコノミーの統合
人権リスクは、いまやESG投資の評価軸の中核です。
ガバナンス不備や人権侵害が表面化したブランドは、投資家からの資本流出と消費者離反というダブルの打撃を受けます。
構造的に、人権配慮はコストではなくリスクヘッジになりつつあります。
サーキュラーエコノミーの観点からも、新品の過剰生産を抑制し、リユース・リサイクルを拡大する動きは、結果として労働集約的な大量生産への依存を減らします。
EUのテキスタイル戦略に基づく拡大生産者責任(EPR)制度や、繊維製品のデジタルプロダクトパスポート(DPP)は、トレーサビリティと循環性を同時に高める制度設計と評価されています。
透明性の高いブランドを選ぶ消費者行動の重要性
マッキンゼーや欧州各機関の調査では、Z世代を中心に「環境・社会に配慮したブランドを積極的に選ぶ」という消費傾向が強まっていることが報告されています。
価格と品質の二軸だった購買行動が、「価格・品質・倫理性」の三軸へと進化しているのです。
消費者として実践できる行動は、決して特別なものではありません。
- 購入前にブランドのサステナビリティ・レポートを一度確認する
- 透明性指数の公開スコアが高いブランドを優先的に選ぶ
- ロングライフを意識し、買う点数を絞り込む
- 不要になった衣料はリユース・リサイクルに回す
ひとりの消費者の行動は小さくても、それが集合すれば調達側の意思決定を変える力になります。
リユース・リサイクルが拓く新たな可能性
リユースファッション市場は、世界的に新品市場を上回るペースで拡大しています。
英国のWRAPやEUのテキスタイル戦略は、繊維製品の循環性を制度として後押しし、回収・再利用のインフラ整備を進めています。
日本国内でも、古着・リユースのオンラインプラットフォームが急成長しており、衣料品の二次流通市場が形成されつつあります。
新品依存を減らし、既存の衣料を長く・賢く回す経済モデルは、結果として南アジアの労働集約産業への過剰な圧力を緩和する効果が見込めます。
人権リスクと環境リスクは、別々の課題ではなく、ひとつの「持続可能性」というテーマで統合されていきます。
まとめ
インド・バングラデシュの繊維労働者問題は、ラナ・プラザ事故から13年が経過しても、構造的な解決には至っていません。
2024年のバングラデシュ政治危機、2025年のアンワー・ファッション火災、最低賃金引き上げ後も続く抗議行動、そして「変質したスマンガリ」として残るインドの強制労働。
これらの最新動向は、グローバル・ファッション供給網の脆弱性を象徴しています。
一方で、希望もあります。
EU CSDDDの発効、バングラデシュのILO第190号条約批准、日本企業の人権デューディリジェンス実施率の上昇、Fashion Transparency Indexによる開示水準の継続的な向上。
規制とブランドの自主的取り組みが両輪で進むなかで、構造変化は着実に進行しています。
サステナブルファッションは、もはや「環境配慮」だけのテーマではありません。
人権配慮を含めた統合的なESG経営、そして消費者の選択行動が連動して初めて、本質的な改善が実現します。
私たち一人ひとりの購買判断が、地球の裏側で働く誰かの労働環境につながっている。
そのことを意識しながら、これからのファッションを選んでいきたいですね。



