「ジーンズ1本を作るのに、水が7,500リットル必要」。
この数字を目にしたとき、多くの方は驚くはずです。
7,500リットルといえば、一般的な浴槽に換算するとおよそ37杯分。
国連は「1人の人間が7年間で飲む水の量に相当する」と表現しました。
SNSではこの数字がインフォグラフィックとともに拡散され、サステナブルファッションの文脈で引用されない日はないほどです。
ファストファッションの環境負荷を象徴するデータとして、すっかり定着した感があります。
でも、この7,500リットルという数字は、本当に「正しい」のでしょうか。
サステナブルファッション研究者・コンサルタントの田中美穂です。
三菱商事でリユース事業の立ち上げに携わり、現在は大手アパレル企業のサステナビリティ戦略を支援しています。
この問題に関心を持ったのは、クライアント企業から「うちのジーンズは本当にそんなに水を使っているのか」と問われたことがきっかけでした。
調べてみると、7,500リットルという数字には、思いのほか複雑な背景がありました。
計算方法ひとつで数字は半分にも倍にもなり、その数字をどう使うかには、発信者の「立場」が色濃く反映されています。
この記事では、7,500リットルの出典をたどり、計算の仕組みを解きほぐし、業界の最新技術や規制動向まで含めて、ファッション業界の水消費問題の全体像を検証します。
目次
「7,500リットル」はどこから来たのか
数字の出典をたどる
この数字の源流は、オランダの研究者たちにあります。
2006年、UNESCO-IHEとトゥエンテ大学の研究チームが発表した論文「The Water Footprint of Cotton Consumption」が出発点です。
著者のChapagain、Hoekstra、Savenije、Gautamらは、1997年から2001年までのデータを使い、綿花消費にかかるウォーターフットプリントを世界全体で年間256Gm³(ギガ立方メートル)と算出しました。
2011年には、同じトゥエンテ大学のMekonnenとHoekstraが、126種類の作物についてウォーターフットプリントを体系的に計算した大規模な研究を発表します。
この研究で使われたのが、後に世界標準となる「グリーン・ブルー・グレー」の3分類による計算方法でした。
これらの研究成果を基盤にして、Water Footprint Network(WFN)が製品別のウォーターフットプリント基準を策定。
「ジーンズ1本に約7,500リットル」「Tシャツ1枚に約2,700リットル」といった数字が、公式の参考値として広まっていきました。
国連キャンペーンでの世界的拡散
転機は2019年3月。
国連がファッション業界の環境コストを可視化するキャンペーンを開始したことで、7,500リットルという数字は一気に世界中のメディアに広がりました。
UNEPやUNCTADもこの数字を公式に引用し、「平均的な人が7年間で飲む水の量に相当する」というキャッチーなフレーズとともに拡散。
日本語版の国連広報でも同様の数字が紹介されています。
ここで押さえておきたいのは、国連のキャンペーンは「啓発」が目的だったという点です。
複雑な計算の前提条件を省略し、インパクトのある数字を前面に出す。
啓発としては効果的な手法ですが、その数字がどこまで「実態」を反映しているかは、また別の話です。
ウォーターフットプリントの仕組みを理解する
3つの「水」の正体
7,500リットルという数字を評価するには、まずウォーターフットプリントの計算方法を理解する必要があります。
この概念を2002年に提唱したのは、先述のArjen Hoekstra教授です。
ウォーターフットプリントでは、水を3種類に分類します。
- グリーンウォーター(緑の水):雨水のこと。土壌に吸収され、植物の蒸発散によって消費される。綿花栽培では最大の構成要素
- ブルーウォーター(青の水):灌漑用水や工業プロセスで使用される地表水・地下水。河川や帯水層の水を引いてくるため、水資源の枯渇に直接つながる
- グレーウォーター(灰色の水):汚染希釈水。製造過程で出た汚染物質を、許容水質基準まで薄めるのに必要な淡水の量を仮想的に計算したもの
ポイントは、グリーンウォーター、つまり雨水が最大の割合を占めるという事実です。
Mekonnen & Hoekstra(2011)のデータでは、全作物のウォーターフットプリントの78%がグリーンウォーターでした。
綿花も例外ではなく、世界平均でウォーターフットプリントの約75%が雨水です。
計算方法で数字が大きく変わる
何を「水の消費」に含めるかによって、ジーンズ1本あたりの数字は劇的に変わります。
| 計算方法 | 数値 | 含む範囲 | 主な用途 |
|---|---|---|---|
| WFN方式(ウォーターフットプリント) | 約7,500L | グリーン+ブルー+グレー(消費者洗濯除く) | 啓発・環境教育 |
| Levi’s LCA方式 | 3,781L | 農場〜廃棄の全ライフサイクル(消費者洗濯含む) | 企業のサプライチェーン改善 |
| ICAC 灌漑水のみ | 約1,200L | ブルーウォーターのみ | 灌漑政策の議論 |
同じ「ジーンズ1本の水」でも、約1,200リットルから7,500リットルまで、6倍以上の開きがあります。
どれが「正しい」かは、実は何を測りたいかによって変わるのです。
7,500リットルは「正しい」のか
Levi’sのLCA:3,781リットルという別の答え
2007年、Levi Strauss & Co.はアパレル業界で初めて本格的なライフサイクルアセスメント(LCA)を実施しました。
2013年には501ジーンズを対象に再調査を行い、1本あたりのウォーターフットプリントを3,781リットルと算出しています。
内訳を見ると、水の使われ方の全体像が浮かびます。
| 段階 | 水使用量 | 割合 |
|---|---|---|
| 繊維(綿花栽培) | 2,565L | 68% |
| 生地製造 | 236L | 6% |
| 裁断・縫製・仕上げ | 77L | 2% |
| 組立 | 34L | 1% |
| 消費者のケア(洗濯) | 860L | 23% |
注目すべきは、消費者の洗濯が全体の23%を占めていること。
ジーンズの水問題を語るとき、製造側だけに目を向けがちですが、私たちの洗濯習慣もかなりのインパクトを持っています。
7,500リットルとの差は、主に2つの要因から生まれます。
第一に、Levi’sのLCAは特定の製品・サプライチェーンに基づく実測値に近い数値であること。
第二に、WFN方式のウォーターフットプリントは世界平均の綿花栽培データを使っているため、灌漑に大量の水を使う地域のデータが平均を押し上げていること。
ICAC(国際綿花諮問委員会)からの反論
2025年、国際綿花諮問委員会(ICAC)は「Water Footprint in Cotton 2020–2024: A Global Analysis」と題した大規模な研究を発表しました。
38カ国、272の綿花栽培地域を分析した結果、従来の「水をがぶ飲みする作物」というイメージに真正面から反論しています。
ICAの主な主張はこうです。
- 綿花のウォーターフットプリントの75%は雨水であり、人間が使い方をコントロールできるものではない
- 綿花は世界の農地のわずか2.21%を占め、農業灌漑水の1.59%しか使用していない
- 世界の綿花栽培面積の56%は完全に天水(雨水のみ)に依存しており、灌漑水をまったく使っていない
ICAC主任科学者のKeshav R Kranthi氏は、「議論の焦点を雨水から灌漑水の最適化にシフトすべきだ」と提言しています。
雨水まで含めた大きな数字で危機感を煽るより、実際にコントロールできる灌漑水の効率改善に集中したほうが、具体的な成果につながるという主張です。
数字の背後にある「立場の違い」
ここまで見てきたように、7,500リットルという数字は「間違い」ではありません。
ウォーターフットプリントの定義に従えば、計算として成立しています。
しかし、この数字を誰が、何の目的で使うかによって、その意味合いは大きく変わります。
環境活動家やNGOにとっては、消費者の意識を変えるための強力なメッセージです。
綿花産業にとっては、自分たちの作物が不当に悪者にされているという不満の種です。
アパレル企業にとっては、サプライチェーンのどこを改善すべきか判断するには粗すぎる数字です。
私の立場としては、7,500リットルという数字は「問題提起の入口」としては有効だが、「解決策の設計」には不向きだと考えています。
ブルーウォーターとグリーンウォーターを分けて議論しなければ、本当に手を打つべきポイントが見えてきません。
ジーンズ製造のどこで水が使われているのか
圧倒的に大きい綿花栽培の比重
ジーンズの水消費を工程別に見ると、綿花栽培が全体の90%以上を占めます。
残りの製造工程は合計しても8〜10%程度にすぎません。
ただし、ここにも地域差の問題があります。
綿花1kgあたりのウォーターフットプリントは、産地によって桁違いの差が出ます。
- ブラジル(ミナスジェライス州):約6,000L/kg(灌漑水ゼロ、すべて天水)
- 中国:約6,000L/kg
- アメリカ:約8,100L/kg
- パキスタン:約9,600L/kg
- インド:約22,500L/kg
インドの数字がアメリカの約3倍になるのは、灌漑効率の低さと水の蒸発量の多さが原因です。
同じ「ジーンズ」でも、綿花の調達先によってウォーターフットプリントは大きく異なります。
染色・仕上げ工程の水と汚染
綿花栽培に比べれば量は少ないものの、染色・仕上げ工程が環境に与えるインパクトは無視できません。
デニムの染色では、糸を最大13回インディゴ染料のバス(浴槽)に浸漬します。
各バスには数千リットルの水が必要で、その後にリンス(すすぎ)工程が続きます。
衣料品製造における工業用水汚染の85%が、この染色工程に起因するとされています。
仕上げ工程も水を大量に使います。
ストーンウォッシュやダメージ加工といった「ユーズド感」を出す処理には、従来型の設備では1本あたり最大1,500リットルの水が使われるケースもありました。
Levi’sのデータでは、仕上げ工程だけで1本あたり42リットルを使用していたと報告されています。
量の問題よりも深刻なのが、「汚染」の問題です。
染色で使われるインディゴや化学薬品を含んだ廃水が適切に処理されずに河川に流れ込む。
繊維染色は世界の水質汚染の20%に寄与しているというデータもあり、使う水の量だけでなく、出ていく水の質にも目を向ける必要があります。
綿花と水の暗い歴史:アラル海の教訓
世界第4位の湖が消えるまで
ウォーターフットプリントの数字が抽象的に感じられるなら、アラル海の事例を知ると印象が変わるかもしれません。
アラル海は、かつて世界第4位の面積を誇る湖でした。
68,000平方キロメートル、最大水深40メートル。
中央アジアの広大な大地に広がるこの湖は、周辺地域の漁業と農業を支える命綱でした。
1960年代、ソ連政府はアムダリア川とシルダリア川の水を大規模に転用し、綿花栽培の灌漑に充てる政策を推し進めます。
1980年までに中央アジアの綿花生産量は年間900万トンに達しましたが、その代償として、アラル海の水量は90%以上が失われました。
国連砂漠化対処条約(UNCCD)の記録によれば、2011年に当時の潘基文国連事務総長がムイナク(かつての漁港)を訪問し、「地球上で最悪の環境災害のひとつ」と表現しています。
露出した湖底からは有毒な塩分を含む砂嵐が発生し、1,000キロメートル以上離れた地域にまで到達。
約350万人が呼吸器疾患などの健康被害を受け、10万人以上が生計の手段を失いました。
復元への長い道のり
アラル海の事例は過去の話ではありません。
現在もウズベキスタン政府を中心に復元努力が続いています。
耐塩性植物(サクサウル)の植栽などにより、劣化した300万ヘクタールの半分以上が復元されたと報告されていますが、かつての湖の姿に戻ることは、もはや不可能とされています。
この事例が示しているのは、ウォーターフットプリントの数字が「抽象的な計算上の問題」ではなく、現実に生態系を破壊し、人々の健康と生活を奪いうるものだということです。
7,500リットルの「雨水が75%」という議論は学術的には重要ですが、アラル海で起きたことは紛れもなくブルーウォーター、つまり灌漑水の問題でした。
業界は水問題にどう取り組んでいるか
Levi’s Water<Less:仕上げ工程の96%削減
デニム業界の水削減をリードしてきたのは、やはりLevi’sです。
2011年に開始されたWater<Lessプログラムでは、20以上の水削減技術が開発されました。
オゾン処理で洗剤を代替する、ボトルキャップやゴルフボールでタンブリングして水なしで柔軟仕上げを行うなど、発想のユニークさが目を引きます。
成果は目覚ましく、仕上げ工程の水使用量を1本あたり42リットルから1.5リットルまで、最大96%削減。
Levi’sの公式発表によれば、累計で30億リットル以上の水を節約し、15億リットル以上をリサイクルしています。
注目すべきは、Levi’sがこのノウハウをオープンソース化し、競合20社をイノベーションラボに招いて技術を共有したことです。
自社だけの競争優位にせず、業界全体の底上げを図る姿勢は、水問題の規模を考えれば合理的な判断だと思います。
2025年には新たな水戦略を発表し、2030年までにサプライチェーン全体で淡水使用量の15%絶対削減(2022年比)を目標に掲げています。
Wrangler Indigood:水を使わない染色
デニムの染色は、水をもっとも多く使う製造工程のひとつです。
その「常識」を根本から覆したのが、Wranglerのフォーム染色技術「Indigood(DryIndigo)」でした。
従来のロープ染色では、糸を何度もインディゴ染料の水槽に浸す必要があります。
Indigoodは、インディゴをフォーム(泡)に懸濁させて糸に塗布する方式に切り替えることで、染色工程の水使用を100%削減しました。
水だけではありません。
化学薬品89%削減、エネルギー65%削減。
スペインのTejidos Royo社との共同開発で、4年間の開発期間を経て実用化にこぎつけています。
Saitex:1本あたり0.4リットルの工場
ベトナムのデニム工場Saitexは、「世界でもっともクリーンなデニム工場」と呼ばれています。
閉水システムにより水の98%をリサイクルし、1本のジーンズ製造で失われる水はわずか0.4リットル。
蒸発分だけです。
年間600万本を生産しながら、Everlane、G-Star Raw、Polo Ralph Lauren、Targetなど18ブランドに供給しています。
これらの事例が示すのは、技術的には水問題の大幅な改善がすでに可能だということです。
問題は、こうした技術がまだ業界全体に浸透していないこと。
コストと設備投資の壁が、特に中小規模の製造工場で導入を妨げています。
もうひとつの選択肢:古着の流通で「水消費ゼロ」を実現する
製造工程の改善とは別に、そもそも新品を作らないという選択肢もあります。
古着として流通させれば、1本のジーンズにかかるウォーターフットプリントは実質ゼロです。
ジーンズは耐久性が高く、リユースとの相性がいい衣類の代表格です。
古着市場の拡大は、水資源の保全という観点からも意義があります。
こうした古着の国際流通を裏側で支えている企業のひとつが、日本・タイ・パキスタン・ドバイに拠点を持つNIPPON47です。
古着の仕入れサポートから仕分け、ベール化、国際輸送までをワンストップで手がけており、衣類が廃棄されずに必要とされる地域へ届く仕組みを構築しています。
同社の「衣類と未来」というページでは、先進国から廃棄された衣類がアフリカのゴミ集積地に山積みになる現実にも触れており、「燃やすのではなく、リサイクルやリユースという選択肢を」という姿勢を打ち出しています。
製造段階で水を減らす技術と、すでに作られたものを循環させる物流。
この両輪がかみ合ってこそ、ファッション業界の水問題は本質的な解決に近づくと私は考えています。
ファッション業界の水問題、これからの論点
業界全体の水消費スケール
個々のジーンズの話から視野を広げると、ファッション業界の水消費は産業全体として見ても巨大です。
Global Fashion Agendaによれば、ファッション業界はバリューチェーン全体で年間79兆リットルの水を消費しています。
世界の工業用水の20%、廃水の20%がこの業界から出ているとされ、農業に次いで水を最も多く消費する産業とも言われます。
さらに懸念されるのが将来予測です。
現在のトレンドが続けば、2030年までに水消費量は2倍に増加。
2050年までにアパレル・繊維施設の75%が、高い水リスクに直面すると予測されています。
水リスクが集中するのは、インド、中国、パキスタン、バングラデシュといった主要な生産拠点です。
EU規制が変えるゲームのルール
こうした状況を受けて、EUは繊維産業に対する規制を急速に強化しています。
| 時期 | 規制内容 |
|---|---|
| 2025年1月 | EU全加盟国で繊維廃棄物の分別回収義務化 |
| 2025年10月 | 改正廃棄物枠組指令(拡大生産者責任EPR)発効 |
| 2026年7月 | デジタル製品パスポート(DPP)繊維製品で施行開始 |
| 2026年7月 | 大企業による売れ残り繊維製品の廃棄禁止 |
| 2028年 | 拡大生産者責任に基づく回収システム整備期限 |
| 2030年 | 中企業への廃棄禁止拡大、全繊維製品にDPP義務化 |
特にデジタル製品パスポート(DPP)は、各製品の環境負荷データ(水消費を含む)を消費者が確認できる仕組みです。
これが本格的に運用されれば、「7,500リットル」のような業界平均の数字ではなく、「この1本のジーンズが実際にどれだけの水を使ったか」が可視化される時代が来ます。
日本のアパレル企業にとっても、EU市場への輸出を考えるなら無関係ではいられません。
水の使用量を測定・開示できる体制を整えることは、もはやCSR活動ではなく、ビジネスの前提条件になりつつあります。
まとめ
「ジーンズ1本に7,500リットル」という数字は、計算の定義としては間違いではありません。
しかし、その75%が雨水であること、産地や製造方法で数倍の差が出ること、LCAベースでは約3,800リットルという別の数字があることを知ると、景色はだいぶ変わってきます。
大切なのは、「数字が大きいから悪い」という短絡的な反応ではなく、どの水が問題なのかを分解して考えることです。
灌漑水の効率改善、染色工程の技術革新、消費者の洗濯習慣の見直し。
それぞれの段階で打てる手は、すでに存在しています。
Levi’sやSaitexの事例が証明しているように、テクノロジーによる解決策は現実のものになっています。
あとは、それを業界全体にどう広げていくか。
EUの規制強化とデジタル製品パスポートの導入は、その推進力になるはずです。
7,500リットルという数字に驚くことは、第一歩として悪くない。
ただし、その先に進むためには、数字の中身を読み解く力が必要です。


